【はじめに】
「その現預金を、なぜ持ち続けているのですか」。株主にこう問われたとき、取締役会として答えを用意できているでしょうか。2026年7月に確定したコーポレートガバナンス・コードの改訂は、この問いを制度として企業に突きつけました。求められているのは開示文書の書き換えではなく、投資判断そのものの説明責任です。
【連載インデックス】
- 第0回:CGコード2026年改訂 完全ガイド|6論点と着手順
- 第1回:CGコード2026年改訂への対応ロードマップ|2027年7月末から逆算する6論点×6つの診断軸
- 第2回:CGコード改訂の本丸は資本配分|成長投資の説明責任(本記事)
- 第3回:社外取締役の「質」とは何か|有識者から監督者へ
- 第4回:有報3週間前開示|総会を動かすか、決算を早めるか
【第1章】改訂が求めた「経営資源の配分」
1. 原則に何が追記されたのか
今回の改訂では、取締役会の役割・責務として、成長投資に向けた取組の重要性が強調されました。金融庁の資料によれば、原則には3つの内容が追記されています(注1)。
第一に、会社の目指すところに向けた成長の道筋を構築すべきこと。第二に、成長投資や事業ポートフォリオの見直し等の経営資源の配分に関し、具体的に何を実行するのかを説明すべきこと。第三に、適切な経営資源の配分が実現されるよう、不断に検証を行うべきことです。
ここでいう成長投資には、設備や研究開発のほか、人的資本や知的財産等の無形資産への投資が例示されています。さらに解釈指針では、現預金等の金融資産や実物資産等の経営資源を投資等に有効活用することが例示されました(注1)。新たに何かを買う判断だけでなく、いま手元にある資産を持ち続けている理由も、説明の対象に含まれたということです。
2. なぜここまで踏み込んだのか
背景には、日本企業の資本効率に対する市場の評価があります。
東京証券取引所の資料では、日本企業は諸外国と比較して成長期待の低い企業群が多く、成長期待の高い企業群が特に少ない傾向が示されています。あわせて、経営資源の配分に関する課題認識について、企業と投資家の間にギャップが存在することも指摘されました(注2)。
つまり、企業側が「必要な投資はしている」と考えている領域について、投資家は同じようには見ていない。この認識の差が埋まらない限り、いくら文章を整えても、丁寧なエクスプレインは成立しません。
誤解を避けるために付け加えておくと、内部留保がそのまま現預金として滞留しているわけではありません。内部留保の増加分の多くは設備や海外M&Aを含む投資に振り向けられてきたとする分析もあり、「ため込んでいる」という単純な図式は実態を捉えていない面があります。だからこそ問われているのは、金額の多寡ではなく、配分の理由を説明できるかどうかです。同じ現預金水準であっても、投資機会に備えた意図的な保有と、意思決定を先送りした結果の滞留とでは、投資家の評価はまったく異なります。
── 図表1:改訂で求められる説明の三層 ──
| 層 | 求められる説明 | 説明が欠けたときの見え方 |
|---|---|---|
| 目指す姿 | 会社が目指すところと、そこに至る成長の道筋 | 中期計画の数値目標はあるが、そこへ至る道筋が語られていない |
| 実行内容 | 成長投資や事業ポートフォリオの見直しで、具体的に何を実行するのか | 「成長投資を推進する」という方針表明にとどまっている |
| 検証 | 配分が適切かを不断に検証する仕組みと、その結果 | 投資は決裁されるが、事後に振り返る場が設けられていない |
【第2章】「説明できない資産」が生まれる構造
1. 投資判断が案件単位にとどまる
多くの企業で、投資の意思決定は案件単位で行われます。事業部門が案を起案し、投資委員会や経営会議が個別に審査し、決裁する。一件ごとに見れば、合理的な手続です。
問題は、案件単位の可否判断をいくら積み上げても、全社としての資源配分にはならないという点にあります。どの事業に、どの時間軸で、どれだけの資本を張るのか。この全社最適の優先順位付けが不在のまま個別決裁が続くと、資本は「起案してきた部門」に流れていきます。声の大きい事業には厚く、静かに縮んでいく事業からは撤退の判断が遅れる。結果として、ポートフォリオは意図ではなく慣性によって形づくられます。
2. 出口の基準がないまま資産が滞留する
もうひとつの構造的な問題は、投資の出口です。
投資実行後の効果検証や、撤退・追加投資の判断基準が明確でない企業は少なくありません。検証の場がなければ、期待した成果が出ていない投資も静かに残り続けます。政策保有株式、稼働率の低い設備、事業上の位置づけが曖昧なまま保有される不動産や金融資産。これらは「持たない理由」を誰も問わないために持ち続けている資産です。
この構造がとくに表れやすいのが、政策保有株式です。取引関係の維持という説明は、取引の実態と保有額の関係を示さない限り、投資家には検証できません。保有を続ける判断も、縮減を進める判断も、それ自体が資本配分の意思決定です。にもかかわらず、多くの企業でこの判断は財務部門の実務として処理され、取締役会の議題として資本配分の文脈に置かれていません。
改訂が求める「不断の検証」は、まさにここに向けられています。取締役会が説明を求められるのは、新規投資の妥当性だけではありません。いまこの瞬間に保有している資産のすべてについて、保有し続ける合理性が問われます。そして検証とは、年に一度の点検ではなく、定期的に議題として上がり、結論が記録される状態を指します。
── 図表2:資本配分が説明不能になる構造 ──
起点
全社の配分方針が不在:どの事業にどれだけ張るかの基準がない
帰結①
案件単位の決裁:起案のあった投資だけが審査の対象になる
帰結②
検証の場がない:効果検証と撤退の基準が定義されていない
結果
滞留:保有し続ける理由を説明できない資産が積み上がる
【第3章】取締役会が検証するための3つの論点
1. 論点①:責任主体をどこに置くか
まず決めるべきは主語です。経営資源の配分について、誰が方針を起案し、誰が検証の結果を取締役会に説明するのか。
実務上は、経営戦略部門と連携した財務責任者の主導で体制を組む企業が増えています。重要なのは役職名ではなく、経営戦略との整合性を踏まえた資源配分と資本構成の方針を、一人の責任者が通しで説明できる状態を作ることです。財務は財務、事業計画は経営企画、株主還元はIRと分断されている限り、統合された説明は生まれません。
責任主体を決めるとは、報告の経路を決めることでもあります。誰が、どの頻度で、どの会議体に、何を報告するのか。ここが定まっていない企業では、資本配分は年に一度の中期経営計画策定時にしか議論されません。改訂が求める水準に照らせば、計画を作る場と、計画どおりに配分できているかを検証する場は、別に設計される必要があります。
2. 論点②:何をもって判断するか
次に、判断の基準です。解釈指針が「不断の検証」を求める以上、検証には物差しが要ります。
正味現在価値、内部収益率、投資回収期間といった定量指標を決裁の要件に組み込むことは、その第一歩です。ただし指標を導入するだけでは足りません。閾値を下回った投資をどう扱うか、事後にどの会議体が振り返るのかまで決めて、はじめて基準は機能します。
あわせて、決裁権限のあり方も見直しの対象になります。金額の大小だけで決裁者を決める運用は、戦略上の重要性と一致しないことが少なくありません。金額は小さくとも将来の事業構成を左右する投資は、取締役会の視野に入れておく必要があります。
3. 論点③:どこに振り向けるか
最後に、投資先の選択肢です。解釈指針では、投資先の検討にあたって3つの観点が示されているとの解説があります。投資対象を自社の内部(設備・研究開発・人的資本等)に求めるか外部(M&A等)に求めるか、短期か中長期か、国内か国外か、という軸です(注3)。
この3軸が示唆しているのは、成長投資の判断は「投資するか否か」ではなく、「どの選択肢と比べて、なぜこれなのか」という比較の問題であるということです。内部の研究開発と外部からの技術獲得を同じ土俵で比較していない企業は、実質的に選択肢の一部を検討していないことになります。M&Aを検討する場合も同様で、買収それ自体の妥当性ではなく、同じ資金を内部投資に回した場合との比較で説明できるかが問われます。
── 図表3:投資先検討の3つの軸 ──
| 軸 | 選択肢 | 検討で確認すべきこと |
|---|---|---|
| 対象 | 内部投資(設備・研究開発・人的資本・知的財産) / 外部投資(M&A等) | 両者を同じ基準で比較する場が設けられているか |
| 時間軸 | 短期 / 中長期 | 短期の回収可能性だけで長期投資を却下していないか |
| 地域 | 国内投資 / 国外投資 | 地域の選択理由を経営戦略と結びつけて説明できるか |
【結論】企業として取るべきアクション
コーポレートガバナンス・コードの改訂を開示対応と捉えるか、資本配分の再設計と捉えるかで、この一年の使い方は大きく変わります。取るべき打ち手を4つに整理します。
- 保有資産の棚卸しから始める:現預金、政策保有株式、遊休不動産、稼働率の低い設備。それぞれについて「保有し続ける理由」を一枚に書き出します。書けないものが出てくれば、それが最初の論点です。
- 配分方針の責任主体を決める:経営戦略との整合性を踏まえた資源配分と資本構成の方針について、通しで説明できる責任者を指名します。分担ではなく、一人が全体を語れることが要件です。
- 投資判断基準と決裁権限を組み直す:定量指標を決裁要件に組み込み、閾値を下回った場合の扱いと事後検証を行う会議体まで、あわせて設計します。金額基準だけの決裁区分も見直しの対象です。
- 取締役会の年間アジェンダに検証を組み込む:「不断の検証」は、議題として定期的に設定されて初めて成立します。年間の議題設計に、投資後レビューの回を明示的に置きます。
- 投資家との対話で説明を検証する:作った説明が通用するかどうかは、社内では確かめられません。IR面談やスモールミーティングで実際に説明し、返ってきた問いを設計に反映します。対話は開示の後工程ではなく、説明を鍛える工程です。
── 図表4:資本配分を取締役会の議題にする4ステップ ──
棚卸し
保有資産ごとに保有の理由を明文化する
責任主体
配分方針の起案者と説明者を指名する
基準設計
判断指標・閾値・事後検証の会議体を定義する
議題化
取締役会の年間アジェンダに検証の回を設定する
【注釈】
(注1)コーポレートガバナンス・コードの改訂(2026年)の概要|金融庁|2026年7月|https://www.fsa.go.jp/news/r7/singi/20260721/04.pdf
(注2)「資本コストや株価を意識した経営」(市場区分の見直しに関するフォローアップ会議 資料)|株式会社東京証券取引所|https://www.jpx.co.jp/equities/follow-up/nlsgeu000006gevo-att/t13vrt000000vg32.pdf
(注3)CGコード改訂、「人的資本投資」を取締役会の責務に|MVV Insights|2026年6月|https://www.mvv.jp/guide/human-capital/cg-code-revision-2026
【参考ソース】
- コーポレートガバナンス・コード(2026年改訂版)の確定について|金融庁 — https://www.fsa.go.jp/news/r7/singi/20260721.html
- 2026年の「コーポレートガバナンス・コード」改訂案のポイント|有澤法律事務所 — https://stellexlaw.com/ja/japan-corporate-governance-code-draft-revision/
- 企業の内部留保は投資・賃上げの阻害要因か(調査月報2025年11月号)|三井住友信託銀行 — https://www.smtb.jp/-/media/tb/personal/useful/report-economy/pdf/163_1.pdf
- PBR1倍のその先へ 〜持続的成長に向けたエッセンス〜|KPMG Japan — https://kpmg.com/jp/ja/home/insights/2024/04/fas-driver-16.html
弊社では、経営資源の配分をめぐるガバナンスの高度化について、保有資産の棚卸しと配分方針の設計、投資判断基準・決裁権限の再設計、投資後の検証プロセスの構築までをご支援しております。成長投資の選択肢としてのM&Aについても、対象の選定からビジネスデューデリジェンス、統合後の価値実現までを一貫して伴走支援いたします。
コンサルティングや研修、取材等のご依頼は以下よりお問い合わせください。
【連載インデックス】
- 第0回:CGコード2026年改訂 完全ガイド|6論点と着手順
- 第1回:CGコード2026年改訂への対応ロードマップ|2027年7月末から逆算する6論点×6つの診断軸
- 第2回:CGコード改訂の本丸は資本配分|成長投資の説明責任(本記事)
- 第3回:社外取締役の「質」とは何か|有識者から監督者へ
- 第4回:有報3週間前開示|総会を動かすか、決算を早めるか



