― スタジアム経済圏の収益構造
【はじめに】
行政の支援を一切受けず、1,000億円を民間資本だけで投じてスタジアムを建てる。その判断を「無謀だ」と見た人は少なくなかったはずだ。しかし開業から1年後、長崎スタジアムシティは年間来場者数485万人を記録し、8月には単月での黒字化を初めて達成した(注1)。通販会社がなぜスタジアムを建てたのか。その問いに答えることは、スタジアム経済圏の収益構造という、日本のビジネス地図を塗り替えうる新しいモデルを理解することに直結している。
【第1章】なぜ通販会社がスタジアムを建てたのか ― ジャパネットの論理
1. 「通販の次」を探した会社の選択
ジャパネットホールディングスは長崎県佐世保市に本社を置く通販事業の会社だ。2023年12月期の連結売上高は約2,621億円。主力の通販事業は安定した収益基盤を持つが、同社は2019年にスポーツ・地域創生事業を「第2の柱」として正式に掲げた。その具体的な表現が、三菱重工長崎造船所幸町工場の跡地に総事業費約1,000億円を投じた「長崎スタジアムシティ」である(注2)。
なぜ通販会社が、スタジアムなのか。ジャパネットHD代表取締役社長の髙田旭人氏はその問いにこう答えている。「いいものを見つけ、磨き、伝える。それが通販事業でやってきたことだ。長崎の魅力を見つけ、磨き、伝えることも同じ仕事だ」と。同社が目指したのはスタジアム単体の収益化ではなく、スタジアムを付加価値の核とした施設全体の価値創出だった。ホテルやオフィスにスタジアム景観を提供し、来場者をICTで誘導して施設全体の消費を最大化する——この設計思想は、通販事業で培った「商品価値を磨いて伝える力」と構造的に同じ発想から来ている。
2. 長崎という「逆風」を選んだ理由
長崎市は2022年7月に人口が40万人を割り込み、2050年には約28万人まで減少すると予測される人口減少都市だ(注3)。この「逆風」の中で1,000億円を投じた判断を、髙田氏は「マイナスをゼロにするのではなく、新しいプラスを生んで人が自分から来たくなる場所をつくる」という地域創生の哲学として説明している(注4)。
実際、長崎スタジアムシティには開業前から53万人を超えるアプリ登録者が集まり、こけら落としとなった歌手・福山雅治の無料ライブには53万人以上の応募が殺到した(注2)。人口約39万人の都市に、その人口を超える規模の期待が集まった事実は、「コンテンツの磁場」としてのスタジアムが持つ求心力を証明するものだった。
── 図表1:長崎スタジアムシティ 開業1年の主要KPI ──
| 指標 | 実績 | 補足 |
|---|---|---|
| 累計来場者数(開業1年) | 485万人超(注1) | 年間目標850万人に対し約57% |
| 平日の来場者数 | 1万人弱(定着) | スーパーやオフィス利用が日常使いを支える |
| 試合・イベント時の来場者数 | 2〜3万人 | 週末を中心に安定集客 |
| 単月黒字化 | 2025年8月に初達成 | 開業から約10カ月(注1) |
| V・ファーレン長崎 試合収益 | 開業2ヶ月の4試合で前年19試合分を超過 | 新スタジアム効果による客単価・集客の両立(注5) |
| 長崎ヴェルカ 平均来場者数 | 3,600人 → 5,400人(+50%) | 新アリーナ開業による集客増(注5) |
【第2章】スタジアム経済圏の収益構造を解剖する
1. 「スタジアム単体」で考えてはいけない理由
スタジアムの収益議論でよく陥る誤りは、スタジアム棟だけを切り出して採算を語ることだ。長崎スタジアムシティの設計思想は最初からその逆にある。スタジアムは「集客装置」として施設全体の価値を底上げするインフラであり、収益主体はその周囲に広がるホテル・商業・オフィス・デジタルの複合体だ。この発想の転換なくして、民間主導のスタジアム投資は成立しない。
日本政策投資銀行(DBJ)が提唱する「スマート・ベニュー」概念もこの考え方を裏付ける。スタジアム・アリーナを多機能複合型の交流拠点として設計し、周辺エリアのエリアマネジメントまで含めた収益の重層化によって、施設全体のライフサイクルにわたる事業価値を最大化する——その思想は、今や官民共通の認識となっている(注6)。
2. 収益の4層構造
現代型スタジアム経済圏の収益は、大きく4つの層に分解できる。
第1層:イベント収益。試合・コンサート・展示会などのコンテンツによる入場料、飲食・物販収入がここに入る。長崎では開業2ヶ月の間に行われたV・ファーレン長崎の4試合だけで、前年シーズンの19試合全体の収益を上回った(注5)。スタジアムとチームの一体運営が生み出すシナジーが、客単価と集客の両面を押し上げた結果だ。
第2層:COI(Contractual Obligation Income)。ネーミングライツ、スイートルーム・VIP席の長期契約、広告権、スポンサーシップなど、企業・法人との契約に基づく安定収益がこの層を形成する。海外の主要スタジアム・アリーナではCOI収入が全体の4〜8割を占めるケースも存在し、日本のスタジアムビジネスが最も強化すべき領域として認識されている(注7)。国立競技場は2024年11月にネーミングライツの導入を発表し(注8)、この流れが国内でも本格化しつつある。
第3層:複合施設収益。スタジアムに直結するホテル、商業施設、オフィスが生み出す非イベント日の収益がここだ。長崎では20社以上のオフィステナントが入居し、スーパーや塾などの生活インフラも商業施設に組み込まれている。平日1万人弱の来場者の大部分は、試合やイベントに来たわけではない人々だ(注1)。「週末は試合観戦、平日は買い物や仕事」という日常使いの文脈が、施設全体の稼働率を底上げしている。
第4層:データ・デジタル収益。専用アプリや施設内IoT・ICT基盤を通じたデータ活用がこの層にあたる。長崎スタジアムシティはソフトバンクとのICT連携により、施設内の人流・消費行動をリアルタイムで収集・分析する仕組みを構築している(注9)。AIによる人流最適化、消費行動への誘導、省人化オペレーション——こうしたデータ基盤の活用は、単なる効率改善にとどまらず、スタジアムをリアルなデータプラットフォームとして収益化する新たな事業軸を生み出している。
3. 「365日の設計」が事業の生命線
スタジアム経済圏の本質的な課題は、稼働日数の有限性にある。V・ファーレン長崎のホームゲームは年間20試合程度、長崎ヴェルカは30試合程度にすぎない(注9)。合計50日程度のイベント収益だけでは、1,000億円の投資を正当化することはできない。
そこで長崎が力を入れたのが「非イベント日の日常化」だ。試合のない日にコンコースと客席を一般開放し、スーパーで弁当を買って観客席でぼーっとする人を歓迎する——髙田氏がそう語ったこのアプローチは、スタジアムという空間の持つ「特別感」を逆手にとり、日常の生活動線に組み込む戦略だ。その結果、平日に1万人弱という安定した来場が定着し、運営会社は「長崎市周辺40〜50万人が定期的に訪れる土台ができた」と手応えを語っている(注1)。
さらに、アイススケートや相撲といったスポーツイベントも組み合わせることで、コンテンツの種類と頻度を意図的に拡張している(注10)。稼働日数を設計の対象として捉え直し、スタジアムをコンテンツのプラットフォームとして運営する——この発想が、従来のスタジアム運営との最大の違いだ。
── 図表2:スタジアム経済圏の収益4層構造 ──
| 収益層 | 主な収益源 | 長崎での具体例 |
|---|---|---|
| 第1層 イベント収益 | 入場料・飲食・物販・チケッティング | 開業2ヶ月の4試合で前年19試合分を超える収益を達成 |
| 第2層 COI収益 | ネーミングライツ・VIP席・スポンサー契約 | 海外では全体収益の4〜8割。日本でも国立競技場が2024年導入 |
| 第3層 複合施設収益 | ホテル・商業・オフィス・駐車場 | オフィス20社以上入居。スーパー・塾など生活インフラで平日集客 |
| 第4層 データ・デジタル収益 | ICT・アプリ・人流データ活用・省人化 | ソフトバンクと連携し施設内人流・消費データをリアルタイム分析 |
【第3章】何が成否を分けるのか ― スタジアム経済圏の構造条件
1. 3つの「一体化」が競争優位を生む
長崎の事例を深く読むと、スタジアム経済圏が機能するための構造条件が浮かび上がる。それは「3つの一体化」だ。
一つ目は「チームと施設の一体運営」だ。ジャパネットはV・ファーレン長崎とスタジアム、長崎ヴェルカとアリーナを同一グループとして運営している。スポーツチームとベニュー(施設)を別々の主体が運営する従来モデルでは、集客施策の足並みが揃わず、相互のプロモーション効果も限定的になる。チームと施設が一体であることで、チームの試合をスタジアム全体の集客イベントとして設計でき、飲食・物販・ホスピタリティを最大化する動線を自由に組み立てられる(注7)。
二つ目は「ハードとソフトの一体設計」だ。建設段階からICTインフラを組み込み、開業後の運営でデータを活かす前提で施設が設計されている。後付けでITシステムを導入するのではなく、建物そのものがデータ収集・活用の基盤として機能する——この「スマートビル」的な思想が、長崎スタジアムシティを単なる複合施設ではなく「ミニスマートシティ」として機能させている(注9)。
三つ目は「スタジアムと都市の一体設計」だ。JR長崎駅から徒歩10分という立地に加え、路面電車との連携、将来的なモビリティ拡張まで視野に入れた動線設計がある。施設が「まちの中にある」のではなく、施設そのものが新しいまちの中心として機能するよう設計されている点が、郊外型スタジアムとの決定的な違いだ。
2. 「挑戦から確立へ」 ― 課題と次のステージ
長崎スタジアムシティの1年目は成功と課題の両面を示した。年間来場者485万人は目標850万人の約57%にとどまり(注1)、収益面でも2年目が「黒字化への勝負の年」と位置づけられている(注10)。髙田社長は「まだ70点」と自己評価し、課題として県外からの来場者増加とホテル稼働率の向上を挙げている。
当初計画にあった稲佐山ロープウェイとの接続も実現が難しくなり、アクセス改善が引き続き課題となっている(注11)。民間主導で建てたからこそ生じる「当初設計との乖離を柔軟に修正しながら運営する」という試行錯誤は、まさに現在進行形だ。ただしここで重要なのは、課題の種類が「施設の存続」ではなく「成長の速度」に関するものだという点だ。開業1年で485万人の来場者と単月黒字化を達成したことは、ビジネスモデルの基本的な有効性を示している。
3. 国立競技場が示す「次の段階」
民間主導のスタジアム経済圏モデルは、地方都市にとどまらず国家的なインフラにも波及しつつある。2024年11月、NTTドコモ・前田建設工業・SMFLみらいパートナーズで構成される「ジャパンナショナルスタジアム・エンターテイメント(JNSE)」が国立競技場の運営権を取得し、2025年4月から民間運営を開始した(注8)。JNSEはネーミングライツの導入、VIPルーム・プレミアムシートの拡張、スマートスタジアム化を掲げており、国内最大規模の会場が収益最大化を前提とした民間運営に移行したことの意味は大きい。
スタジアム単体の「施設管理」から、都市と連動した「経済圏経営」へ。長崎で実証されたモデルが国立競技場へ、そして築地へと接続されていく流れは、スタジアム経済圏が日本の都市構造を変える本流になりつつあることを示している。
── 図表3:スタジアム経済圏の成否を分ける「3つの一体化」 ──
一体化①
チームと施設
プロチームとスタジアム・アリーナを同一主体で運営。集客・収益設計を一体で最大化
一体化②
ハードとソフト
建設段階からICTを組み込む。施設そのものをデータプラットフォームとして設計
一体化③
スタジアムと都市
街なか立地×複合機能×モビリティ連携。施設がまちの中心として機能する設計
【結論】企業として取るべきアクション
長崎スタジアムシティが1年間で示した事実は、スタジアム経済圏が「理想論」ではなく「実証済みのビジネスモデル」であることを裏付けた。民間資本の投資論理、収益の4層構造、そして3つの一体化——この設計思想は、スタジアム関連事業に直接関わる企業だけでなく、あらゆる業種の経営者が参照すべき枠組みを提示している。
- アクション①:スタジアム経済圏への参入を「スポーツ事業」ではなく「都市投資」として捉え直す
スタジアム周辺ビジネスの本質は施設内収益ではなく、エリア全体の人流・消費・データを活用した多層的な価値創出にある。自社事業との接点を「スポーツが好きかどうか」ではなく「自社が持つ集客力・データ活用力・コンテンツ力」から考える視点が必要だ。 - アクション②:COI収入を設計の起点に置く
ネーミングライツ、VIP席、長期スポンサー契約といったCOIは、スタジアム経済圏の財務基盤を安定させる核心だ。企業がスタジアム経済圏に参与する場合も、単なるテナント出店ではなくCOI型の長期契約が投資対効果を高めることを念頭に置くべきだ。 - アクション③:「非イベント日」の設計に経営資源を投じる
スタジアム経済圏の持続可能性は、年間50日程度のイベント以外の日々をいかに設計するかにかかっている。生活インフラ・オフィス・教育・医療といった日常使いの機能を組み込む設計思想は、スタジアムに限らず集客型施設全般に応用できる発想だ。 - アクション④:ICT・データ活用を「後付け」にしない
長崎の経験が示すように、データプラットフォームとしての価値は建設・設計段階からの組み込みによって初めて最大化される。スタジアム周辺事業への参入を検討する際は、デジタル基盤の設計段階から関与することが、後からの参入より圧倒的に有利な立場をもたらす。
「1,000億円の民間賭け」は、開業1年の時点でその賭けの正しさを証明しつつある。長崎が切り開いたスタジアム経済圏のモデルは、築地・横浜・広島で進行中の開発にも接続され、2030年代にかけての日本の都市経済を形成する基盤になっていく。その変化の最前線に、どのポジションで立つかを今考えることが、経営者にとっての問いだ。
── 図表4:スタジアム経済圏 ― 経営者の4つのアクション ──
参入を「都市投資」として捉え直す
COI収入を設計の起点に置く
「非イベント日」の設計に資源を投じる
ICT・データ活用を「後付け」にしない
【次に読むべき記事】広がるスタジアム・アリーナ改革
長崎で証明された「スタジアム経済圏」のモデルは、今や一過性の成功例ではなく、築地再開発や国立競技場の民間開放など、日本全体の都市設計のスタンダードになりつつあります。
この大きな潮流を経営戦略にどう取り込むべきか。全国90か所で進む開発計画の概況と、経営者が取るべき5つのアクションについて、総論記事にてまとめています。
弊社では、経営戦略策定・新規事業開発の豊富な支援実績とM&Aアドバイザリー機能を活かし、スタジアム経済圏やエリアマネジメント型ビジネスへの参入・事業再編を検討される経営者の皆様を伴走支援しております。「自社にとってのスタジアム経済圏の機会をどう捉えるか」「DX・データ活用で参入できる領域はあるか」といったご相談から、具体的な事業化・M&Aプロセスまで、一貫してサポートいたします。
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