【はじめに】
2026年3月、ホルムズ海峡の事実上の封鎖によってWTI原油先物は1バレル100ドルを突破しました。わずか1か月で価格は2.4倍に跳ね上がり、日本中の企業が緊急対策に追われています。しかし、同じ原油高騰の波を受けながらも、業績への影響を最小限に留めている企業が存在します。その差はどこから生まれるのでしょうか。答えは「エネルギーコストを何とかする」という直接的な対処ではなく、平時からコスト構造を柔軟に設計していたかどうかという、一見すると原油とは無関係に思える経営の足腰にありました。
【第1章】ホルムズ海峡封鎖──何が起き、何が変わったのか
1. 「まさか」が現実になった2026年3月
2026年2月28日、米国とイスラエルがイランへの攻撃を開始しました(注1)。直後にイラン革命防衛隊はホルムズ海峡の閉鎖を宣言し、世界の石油供給の約2割が通過する要衝が事実上遮断されました(注2)。WTI原油先物は2月末の約70ドルから3月末には100ドルを超え、約50%以上の月間上昇を記録しています(注3)。日本にとっての衝撃はさらに深刻です。日本の原油輸入の約94%は中東に依存しており、そのほとんどがホルムズ海峡を経由しています(注4)。日本郵船や川崎汽船は海峡通行を停止し、国内のガソリン価格は3月中旬に190円台へ急騰しました(注5)。
2. 企業収益への波及──直接費だけではない圧力
原油価格の上昇は、ガソリンや軽油、電力料金といった直接的なエネルギーコストの増加だけにとどまりません。大和総研の試算によれば、原油価格が150ドルで推移した場合、日本の実質GDP成長率は2025年度で0.5ポイント、2026年度で0.2ポイント下振れするとされています(注6)。帝国データバンクの分析では、原油価格が100%上昇した場合、消費者物価上昇率を1.26ポイント押し上げ、二人以上の勤労者世帯の年間支出は最大で約5万円増加する見通しです(注7)。
しかし多くの経営者が見落としているのは、「直接的なエネルギーコスト増」よりも「間接コストの硬直性」が企業体力を奪う主因になりうるという点です。物流費、出張旅費、空調・照明にかかるオフィスコスト、紙や包装資材の調達費──これらはすべて原油価格に連動して上昇しますが、個別には小さく見えるため、緊急対策の俎上に載りにくい費目です。結果として、「エネルギー費は仕方ない」と放置されたまま、間接コスト全体がじわじわと利益を圧縮していきます。
── 図表1:原油高騰が企業コストに波及する経路 ──
| 波及経路 | 影響を受けるコスト項目 | 経営者の認知度 |
|---|---|---|
| 直接経路(燃料・電力) | ガソリン代、電気料金、ガス料金 | 高い(即座に認識) |
| 間接経路①(物流) | 配送費、フォワーディング費用、倉庫光熱費 | 中程度(値上げ通知で認識) |
| 間接経路②(原材料) | プラスチック・樹脂製品、化学品、包装資材 | 中程度(数か月遅れで認識) |
| 間接経路③(管理費) | オフィス光熱費、出張旅費、通信費、印刷費 | 低い(個別金額が小さく見過ごされやすい) |
| 間接経路④(人件費圧力) | 実質賃金低下に対する賃上げ要求、採用コスト増 | 低い(タイムラグが大きく因果が見えにくい) |
【第2章】「動じなかった企業」の共通点──間接コスト構造の柔軟性
1. 損益分岐点比率が示す”構造的余力”
原油高に強い企業の特徴を一つの指標で表すならば、損益分岐点比率です。損益分岐点比率とは、売上高に対して固定費と変動費がどの水準で均衡するかを示す指標であり、この比率が低い企業ほど、外部環境の悪化に対する耐性が高いとされています。レジリエンス経営の文脈では、目指すべき水準として70%以下が一つの基準とされています(注8)。
ここで重要なのは、損益分岐点比率を下げるための手段が「売上を伸ばすこと」だけではないという事実です。固定費の中に埋もれている「実質的には変動費化できるコスト」を洗い出し、柔軟な支出構造に変えること──これこそが、エネルギー危機に先んじて備えていた企業が取り組んでいたアプローチでした。
2. 間接コストは”聖域”ではなく”最大の変革余地”
企業の典型的なコスト構造を観察すると、売上原価に占める直接材料費や外注費は比較的厳密に管理されている一方、販売費及び一般管理費(販管費)に含まれる間接コストは「必要経費」として深い検証をされないまま積み上がっているケースが少なくありません。
PwCは調達改革において「調達コスト全体をカテゴリー別、部門別、サプライヤー別に多面的かつ網羅的に可視化し、優先対象を特定すること」を重視しています(注9)。しかし実際には、企業の多くは間接材の調達──つまりオフィス用品、IT保守、清掃・警備、旅費規程、業務委託費など──を各部門の裁量に委ねており、全社横断での可視化ができていないのが現状です。
原油が2.4倍になっても業績を維持した企業は、こうした間接費を”聖域”にせず、全社横断で「何に、いくら、なぜ使っているのか」を構造的に把握する仕組みを事前に整えていました。その結果、外部環境が変化したときに「どこを絞り、どこは維持するか」という優先順位の判断が迅速に下せたのです。
3. “見えないコスト”が蓄積する構造的メカニズム
間接コストが膨張しやすい構造的な理由は、大きく3つあります。第一に、承認プロセスの形骸化です。一件あたりの金額が小さいために上長承認が形式化し、必要性の検証が甘くなります。第二に、契約の自動更新です。IT保守やリース契約は一度締結されると見直しの機会がないまま何年も継続される傾向があります。第三に、部門単位の部分最適です。各部門が個別に調達するため、全社で集約すれば得られるスケールメリットが失われています。
デロイトは「目先のコスト削減に留まらず、コスト構造改革を常態化するためのガバナンスや制度・ルール等の設計が必要である」と指摘しています(注10)。この視点は、エネルギー危機対応にとどまらず、企業の構造的な収益力そのものに関わる論点です。
── 図表2:間接コストが膨張する3つの構造要因 ──
- 要因1:承認の形骸化
- 少額案件の承認が形式化し、「前年踏襲」が常態化。不要・過剰な支出が温存される。
- 要因2:契約の自動更新
- IT保守、設備リース、業務委託が見直されないまま長期継続。市場価格との乖離が拡大。
- 要因3:部門ごとの部分最適
- 各部門が個別に調達。全社集約によるスケールメリットや交渉力が活かされない。
【第3章】間接コスト構造を変える──3つの論点と実践的アプローチ
1. 論点①:可視化──「何に、いくら、なぜ」を全社で把握する
間接コスト改革の出発点は、例外なく「可視化」です。しかし、単に勘定科目別の集計を並べるだけでは不十分です。重要なのは、「カテゴリー」×「部門」×「サプライヤー」の3軸でコストを立体的に捉えることです。
たとえば「通信費」という勘定科目には、固定電話回線、携帯電話、インターネット回線、クラウドサービス利用料、FAX回線など、性質のまったく異なるコストが混在しています。これをカテゴリー別に分解し、部門ごとの使用実態を把握し、サプライヤーとの契約条件を横比較することで、初めて「どこに最適化余地があるか」が見えてきます。
DX銘柄に選定された企業の多くは、こうしたコスト構造の可視化をデジタル基盤の整備と同時に進めています。ミスミグループが調達プロセスの改革として導入した「meviy」のように、部品調達のデジタル化が調達コストと納期の最適化を同時に実現した事例もあります(注11)。間接費の可視化もまた、デジタル化と一体で取り組むべきテーマです。
2. 論点②:変動費化──固定を変動に切り替えるレバレッジ
可視化の次に取り組むべきは、固定費の変動費化です。たとえばオンプレミスのITインフラをクラウドサービスに移行すれば、サーバー維持費が使用量連動の変動費に切り替わります。自社所有の社用車をカーシェアやリースに転換すれば、燃料費高騰の影響を台数削減で吸収しやすくなります。
ここで見落とされがちなのが、「人的業務の外部化・自動化」も変動費化の一形態であるという視点です。定常的なバックオフィス業務を人手に頼り続ける限り、固定人件費というかたちで損益分岐点を押し上げます。一方で、RPAやAI OCRの導入によって業務量に応じたスケーラブルな体制を構築できれば、景気変動に対する柔軟性が格段に高まります。SGホールディングスがドライバー業務や庫内業務、バックオフィス業務のそれぞれでRPAやAI OCRを導入し、生産性向上を実現した事例はその好例です(注12)。
3. 論点③:調達の再設計──”買い方”を変えることで構造を変える
3つ目の論点は、間接材の調達プロセスそのものを再設計することです。多くの企業では、間接材の調達は各部門の担当者が個別に行っており、全社的な交渉力が活かされていません。
ここで有効なのが、カテゴリー戦略の導入です。類似する間接材をカテゴリーごとに集約し、全社の購買力を背景にサプライヤーとの条件交渉を行うアプローチです。電力契約についても、固定価格契約と変動価格契約の最適なミックスを設計することで、原油高騰時のコスト急騰を一定程度緩和することが可能です。
さらに、2026年4月に施行された改正GX推進法では、排出量取引制度(GX-ETS)が義務化され、2028年度には化石燃料賦課金の導入も予定されています(注13)。企業にとっても、サプライチェーン上流の大手企業からScope 3排出量の算定・報告を求められる場面が増えてくることは確実です。間接材の調達再設計は、コスト最適化とGX対応を同時に進められる一石二鳥の取り組みとなります。
── 図表3:間接コスト構造改革の3つのアプローチ ──
| アプローチ | 具体的な施策例 | 期待効果 | 着手難易度 |
|---|---|---|---|
| ①可視化 | カテゴリー×部門×サプライヤーの3軸分析、コストデータベース構築 | 最適化余地の発見、意思決定の迅速化 | 中(データ整備に時間を要する) |
| ②変動費化 | クラウド移行、社用車のリース転換、RPA・AI OCR導入 | 損益分岐点比率の低減、景気変動への耐性向上 | 中〜高(投資判断が必要) |
| ③調達の再設計 | カテゴリー集約調達、電力契約の最適ミックス、GX対応と連動 | 購買コスト5〜15%削減、GX規制への先手対応 | 低〜中(既存契約の棚卸から着手可能) |
【結論】企業として取るべきアクション
原油価格の高騰は、いつの時代も「外部環境の問題」として語られがちです。しかし、今回のホルムズ海峡危機は、企業の収益力を守るための本質的な課題は、エネルギー調達の問題ではなく、間接コスト構造の硬直性にあるという事実を改めて浮き彫りにしました。
直接的なエネルギーコストは、一企業の努力だけではコントロールしきれません。しかし、間接コストの構造は自社の意思で変えられます。いまこの瞬間にも原油高の影響は広がり続けていますが、だからこそ「次の危機」に備えたコスト構造改革を始める絶好のタイミングでもあります。以下に、経営者として今日から着手できるアクションを整理します。
- 間接コストの全社棚卸を実施する:まずは直近1年分の販管費を「カテゴリー」×「部門」×「サプライヤー」の3軸で分解し、コスト構造の全体像を把握しましょう。この作業だけで、全社コストの5〜10%に相当する最適化余地が見えてくることは珍しくありません。
- 「固定費を変動費に変えられないか」という問いを全部門に投げかける:IT、総務、人事、経理──すべてのバックオフィス部門に対して、現在の固定費項目のうち変動費化できるものがないか、具体的な検討を指示してください。クラウド化、BPO、RPA導入など、選択肢は複数あります。
- 間接材の調達を”全社プロジェクト”に格上げする:各部門が個別に行っている間接材調達を全社横断で集約し、カテゴリー戦略に基づく調達改革プロジェクトを立ち上げましょう。まずは金額の大きい上位5カテゴリーから着手するのが現実的です。
- エネルギー契約のポートフォリオを見直す:電力契約の固定・変動比率、ガス契約の条件、燃料調達の方法を一括で棚卸し、価格変動リスクを分散するポートフォリオを設計してください。再エネ電力の調達やPPA(電力購入契約)の活用も選択肢に含めるべきです。
- 損益分岐点比率を経営KPIとして定点モニタリングする:上記のアクションの成果を測るために、損益分岐点比率を四半期ごとにモニタリングする仕組みを導入しましょう。「70%以下」を中期目標として設定し、コスト構造改革の進捗を経営会議の定常アジェンダとすることを推奨します。
── 図表4:間接コスト構造改革のアクションステップ ──
今すぐ
間接コストの全社棚卸し。3軸(カテゴリー×部門×サプライヤー)で可視化
1~3か月
固定費→変動費の転換候補を特定。調達集約プロジェクトの立ち上げ
3~6か月
カテゴリー戦略に基づく再交渉・契約切替。エネルギー契約のポートフォリオ再設計
定常化
損益分岐点比率の四半期モニタリング。改革成果の定着とガバナンス整備
【注釈】
(注1)野村證券 池田雄之輔「イラン攻撃が日本株・為替に与える影響」2026年3月
https://www.nomura.co.jp/wealthstyle/article/0627/
(注2)中東調査会「イラン攻撃によって混乱する中東エネルギー情勢と日本への影響」2026年3月
https://www.meij.or.jp/research/2023/51.html
(注3)Trading Economics「原油 – 価格 – チャート」2026年3月30日時点
https://jp.tradingeconomics.com/commodity/crude-oil
(注4)JBpress「石油備蓄は8月にも枯渇か」2026年3月
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/93928
(注5)経済産業省「中東情勢を踏まえた燃料油・石油製品の安定供給確保」2026年3月24日
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/chyutoujyousei/dai1/pdf/siryou4.pdf
(注6)大和総研 田村統久「中東情勢緊迫化で高まる原油高騰リスク」2025年6月23日
https://www.dir.co.jp/report/research/economics/japan/20250623_025171.html
(注7)帝国データバンク「原油価格高騰が物価および家計支出に与える影響」2026年3月
https://www.tdb.co.jp/report/economic/20260319-tdbreview-no43/
(注8)タナベコンサルティング「レジリエンスカンパニーになるための基本戦略」
https://review.tanabeconsulting.co.jp/column/resilience/28834/
(注9)PwC Japanグループ「調達改革:経営への貢献に向けた変革」
https://www.pwc.com/jp/ja/services/consulting/operations/procurement-reform-and-cost-optimization.html
(注10)デロイト「グローバル競争を勝ち抜くコスト構造改革」
https://www2.deloitte.com/jp/ja/pages/strategy/articles/md/strategic-reorganization-cost.html
(注11)HELP YOU「2025年版:DX成功事例32選」
https://help-you.me/blog/dx-japanese-cases/
(注12)SGホールディングス「DX戦略」
https://help-you.me/blog/dx-japanese-cases/
(注13)GX DiG「2026年4月施行 改正GX推進法とは?」2025年12月
https://green-transformation.jp/media/decarbonization/gx-promotion-act-115/
【参考ソース】
- Bloomberg「日本のインフレ加速の恐れ、原油急騰─ホルムズ海峡が事実上封鎖」2026年3月2日 — https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2026-03-02/TB8TC8T96OSR00
- 三井住友DSアセットマネジメント「ホルムズ海峡の実質封鎖の長期化を懸念」2026年3月4日 — https://www.smd-am.co.jp/market/daily/marketreport/2026/03/news260304jp/
- 東洋経済オンライン「日本の『備蓄』は本当に足りているのか?」2026年3月25日 — https://toyokeizai.net/articles/-/938994
- オルタナ「ホルムズ海峡封鎖:世界一中東に石油を依存する日本の今後は」2026年3月16日 — https://www.alterna.co.jp/169225/
- EY Japan「企業価値を高めるために求められるレジリエンスの具備」2025年 — https://www.ey.com/ja_jp/insights/risk/building-resilience-to-strengthen-corporate-value
- 三菱総合研究所「コーポレート・レジリエンス向上の取り組み 第1回」 — https://www.mri.co.jp/knowledge/column/20220316.html
- PwC Japanグループ「エネルギー業界における変革と成長戦略」 — https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/column/transact-to-transform/energy-utilities.html
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